済州四・三 76周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

京都・済州4・3に学ぶ集会のご案内

「済州4・3事件に学ぶ」―京都から「4・3事件」を考える ―

日時:2019年1月14日(月・休日)午後2時~5時

会場:京都市地域・他文化交流ネットワークサロン
   京都市南区東九条東岩本町31
  (JR京都駅・市営地下鉄京都駅八条口より徒歩15分)

  • ビデオ上映「悲劇の島 済州」
  • 伊地知紀子さん(大阪市立大学)のお話「済州4・3事件とは」
  • パネルディスカッション「京都から「済州4・3事件」を考える」
    【パネリスト】呉光現さん(在日本済州4・3遺族会会長)、中村一成さん(ジャーナリスト)
    【進行】西岡研介さん(ノンフィクションライター)

パネル展が2019年1月7日(月)午前9時~19日(土)午後5時に開催されます。

主催:「済州4・3企画」実行委員会

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慰霊碑除幕式を伝える日本の報道

  • 済州島弾圧の悲劇忘れぬ 天王寺四・三事件慰霊碑(読売新聞2018/11/18 大阪地方版 大阪朝刊 29頁)
  • 済州島 悲劇語り継ぐ 弾圧事件遺族ら 大阪に慰霊碑 きょう除幕式(日本経済新聞2018/11/18 大阪朝刊 31頁)
  • 4・3事件 済州島の悲劇 後世に 天王寺・統国寺 慰霊碑の除幕式(毎日新聞2018/11/20 大阪地方版 大阪朝刊 24頁)
  • (葦 夕べに考える)大阪と済州島をつなぐ碑 中野晃(朝日新聞2018/11/21 大阪夕刊 8頁)
済州島弾圧の悲劇忘れぬ 天王寺四・三事件慰霊碑(読売新聞2018/11/18 大阪地方版 大阪朝刊 29頁)

韓国・済州(チェジュ)島で1948年、島民3万人が犠牲になったとされる「四・三事件」の慰霊碑が、遺族が暮らす大阪市天王寺区の統国寺に建立され、18日午後1時半から除幕式が開かれる。事件は韓国や在日コリアンの間で長らくタブーとされていたが、近年検証が進み、遺族らは日本でも伝え残したいと願っている。(桑田睦子)

きょう除幕 遺族「平和の礎に」

「島から持ってきた石や」。事件で叔父や親戚を亡くした呉光現さん(61)は9日、統国寺の境内で、済州島の叔父の故郷から持ってきた石を高さ3・6メートルの慰霊碑に並べた。

済州島からは戦前、多くの島民が仕事を求めて大阪に渡航した。一部は日本の敗戦で島に戻ったが、事件前後、難を逃れて大阪に密航する島民もいたという。

80年代後半から、韓国の民主化とともに事件の検証が進み、2003年には盧武鉉ノムヒョン)大統領(当時)が公式に謝罪を表明。呉さんら大阪などに住む遺族も00年に遺族会を結成し、慰霊祭やシンポジウムなどを行ってきた。

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慰霊碑碑文/위령비 비문

碑文

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済州四・三は1948年4月3日の済州島での武装蜂起に端を発し、その武力鎮圧の過程でおよそ3万人の島民が犠牲となった悲劇である。

武装蜂起は当時の米軍政が実施しようとしていた「南朝鮮単独選挙」すなわち南北分断に反対して決行されたが、警察や右翼団体による島民への横暴がその引きがねとなっていた。1947年の三・一独立運動記念日に警察の発砲により6名が犠牲になった「三・一節事件」以後、軍政への島民の反発が強まり、米軍政は警察を増派するとともに、朝鮮北部出身の西北青年会など右翼集団を投入して島民の抗議行動を封じようとした。島では右翼や警察による過酷なテロや拷問が横行し、武装蜂起はこれに対する反撃や自衛としても決行された。

主として南朝鮮労働党員からなる蜂起勢力は350人ほどに過ぎなかった。しかし、この小規模の抗議行動に対する軍・警察の弾圧は、南北両政権の樹立(大韓民国8月・朝鮮民主主義人民共和国9月)や麗水・順天での「軍人反乱」(10月)などを経るなかで、「焦土化作戦」といわれる凄惨な殺戮劇に発展した。1949年の半ばまでには中山間の村がほぼ焼失し、武装隊とその関係者はもとより、これとは関わりのない夥しい数の島民たちが虐殺された。

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慰霊碑除幕式を挙行/위령비 제막식 거행

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大阪の済州4・3犠牲者慰霊碑除幕式は、2018年11月18日、快晴のもと約450人が参列し、盛況のうちに挙行されました。4・3の記憶を日本でも継承し慰霊の空間をつくろうという多くの方々の思いが、ついに結実しました。

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