1948年10月19日、済州4・3鎮圧の出動命令を拒んで、麗水駐留の国防警備隊第14連隊の兵士が蜂起し、ほどなく隣接する順天をはじめとする全羅南道東部地域を占拠しました。しかし蜂起は1週間ほどで鎮圧され、その過程で蜂起を主導した左翼勢力だけでなく、多くの非武装民間人が殺害され、あるいは事件との関連を疑われて処刑されました。
この麗水・順天事件(麗順事件)をきっかけとして、当時の李承晩政権は国家保安法を制定し、徹底した粛軍措置を断行するなど、強硬な反共政策を推し進めました。一方で、蜂起勢力の一部は智異山へ逃避し、以後、李承晩政権に抵抗するパルチザン活動を繰り広げます。麗順事件は、済州4・3が本土へ「飛び火」したことで発生した韓国現代史の重要な転換点となった出来事で、現在、遺族を中心に、真相究明などを定めた特別法の制定が強く求められています。
そしてこのたび、事件から72年を経た2020年1月20日に、光州地方法院順天支部は、麗順事件の民間人犠牲者チャン・ファンボンさん(当時29)の再審で、無罪判決を言い渡しました。
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