済州4・3事件71周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

4・3平和賞に玄基榮氏

済州4・3平和財団は2019年3月18日、第3回4・3平和賞に作家・玄基榮氏を選定したと発表しました。「順伊(スニ)おばさん」の作者です。以下はそのプレスリリースの日本語訳です。(原文はこちら)ご参考までに、玄基榮氏とのインタビューを掲載したハンギョレ日本語版の記事へのリンクも掲載します。

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玄基榮氏

第3回済州4・3平和賞受賞者に玄基榮選定

―国内人物初めての受賞、4・3真相究明運動のシンボル―
特別賞受賞者ベトナム人権運動家ウンウイェン・ティタン(ハミ村)、ウンウイェン・ティタン(フォンニィ村)

済州4・3平和賞委員会(委員長カン・ウイル カトリック教会済州教区長)は第3回済州4・3平和賞受賞者として小説家玄基榮(78)氏を選定した。

特別賞にはベトナム人権運動家ウンウイェン・ティタン(ハミ村、62)、ウンウイェン・ティタン(フォンニィ・フォンニャット村、59)の同名異人が共同受賞者としてさる3月9日に選定され、受賞承諾を受けて最終的に受賞者として確定した。

<第3回済州4・3平和賞受賞者>

4・3平和賞受賞者である玄基榮は済州出身で、民衆の生を抑圧する野蛮の歴史を文章で明らかにし、その傷を抱きしめる作家であり、平和な共同体回復のために実践する知識人である。

彼は4・3について30余年間忘却と沈黙を強要された時期に、文学的良心で北村里大虐殺を扱った作品「順伊(スニ)おばさん」を1978年『創作と批評』 に発表し、4・3を時代の中心へと引き上げた。この作品は国家暴力の実状を暴露し、真相究明の必要性、そして治癒と追慕の正当性を広く拡散させる踏み石になった。

これを契機に大学街と知識人に4・3に対する関心を引き起こし、文化界全般にも大きな影響を及ぼした。しかし作家は4・3を素材として小説を書いたという理由で1979年軍情報機関に連行され、厳しい苦難に遭い、小説「順伊おばさん」は14年間禁書になった。

このほかにも近現代史を背景にする作品を創作し、韓国文学界の巨木として称賛を受けたが、もう一つの4・3を素材とする長編小説である自伝的成長小説「地上に匙一つ」(1999)が国防部の不穏図書に選ばれるなど試練を経験した。

玄基榮は権威主義時代の人間の抑圧と統制を克服し、自由と自律そして平和の時代を先導する平和運動家として活躍した。とくに4・3の真相究明と名誉回復の先頭に立ち、済州4・3研究所初代所長、済州社会問題協議会会長などは彼の人生の軌跡を明瞭に示していると言える。このほかにも4・3の各時期ごとに推進された50周年、60周年、70周年記念事業委員会の代表を引き受け、4・3真相究明運動の延長線において絶えず活動してきた。

玄基榮は全生涯を捧げて絶えず4・3の解決のために努力し、人権と平和を遮るあらゆる不義で不当な動きに抵抗する実践的知識人のシンボルとしての地位にある。玄基榮の済州4・3平和賞受賞は国内人物では初の受賞者として記録される。

<第3回済州4・3平和賞特別賞受賞者>

ウンウイェン・ティタン(Nguyen Thi Thanh、ハミ村)とウンウイェン・ティタン(Nguyen Thi Thanh、フォンニィ・フォンニャット村)は1968年ベトナム民間人虐殺当時、それぞれ11歳と8歳の身で虐殺現場で家族を失い、自らは全身に銃傷を負って生き残った女性後遺障害生存者である。

彼女ら同名の二人のウンウイェン・ティタンは、2018年4月22日韓国で開かれたベトナム戦争時期韓国軍による民間人虐殺真相究明のための市民平和法廷に原告として参席し、ハミ村とフォンニィ・フォンニャット村の虐殺を証言、初めて原告勝訴判決[を得て]、国際社会の大きな注目をあびた。

虐殺被害者として生きながら、数多くの韓国の人々の前に証言者として立った二人は、勝訴以後、単なる被害者から一歩踏み出し、平和人権活動家として立ち上がり国際社会に大きなインスピレーションと共鳴を呼び起こしている。

ウンウイェン・ティタン(ハミ村、62)は1968年1月24日、ベトナム戦争当時、韓国軍によって135人が犠牲になったと調査されたクアンナム省ティエンバン市ハミ虐殺の生存者。当時、母、弟、叔母、年下のいとこ二人を失って、11歳だったティタンは手榴弾で左耳の聴力を喪失、左の足腰に手榴弾の破片が突き刺さる傷を負った。

またもう一人のウンウイェン・ティタン(フォンニィ・フォンニャット村、59)は1968年2月12日、74人が犠牲になったクアンナム省ティエンバン市フォンニィ・フォンニャット虐殺の生存者で、当時、母、姉、弟、叔母、母方の年下のいとこなど、みなで五人の家族を失った。8歳だったティタンは左わき腹に銃傷を負った。

彼女らは自分たちが長い間体験した苦痛と傷が繰り返されないよう願う気持ちで、市民平和法廷勝訴判決以後、2018年4月23日済州を訪問、4・3女性生存者らととに証言の場に立って4・3と連帯し、互いに慰め合ったり、4・3平和公園では残酷だった戦争の苦痛と真実に共感したりもした。

彼女たちの活動は、この間声を出せなかったベトナム被害者が声を大きく上げるうえでの動力を作り出しており、単なる被害者の立場から踏み出し、清算できない不幸な歴史に対して国家が公式に謝るべきであり、再び戦争の苦痛がないことを望むというメッセージを包んでいる。

ベトナム二女性の特別賞受賞の意味は、戦争の最大の弱者であり被害者であったベトナム女性たちが勇敢に真実の法廷に立ったということであり、以後の被害者から平和運動家への変身は、過去の誤った歴史に対しては正さなければならないという4・3運動が指向する歴史認識と相通じるところがある。また韓国の市民がベトナムの痛みを民間のレベルから認め謝ることで、ベトナム戦争被害者に慰めと勇気を与える世界史的な意味として残ることだろう。

済州4・3平和財団(理事長梁祚勲)は4月1日18時、済州KALホテルのグランドボールルームで第3回済州4・3平和賞授賞式を開催する。

これに先立ち4月1日16時には、済州KALホテルトンベク(椿)ルームで受賞者に対する合同記者会見が開かれる。

4・3平和賞受賞者には賞牌と賞金5万ドル(韓貨5千6百万ウォン)、特別賞受賞者には賞牌と賞金1万ドル(韓貨1千1百万ウォン)を授与する。

済州4・3平和財団は第3回済州4・3平和賞を迎え、より一層権威と栄誉に輝き、アジアを代表する平和賞として回を重ねられるよう最善の努力を尽くすだろう。

[インタビュー]「いまこそ“正義の死”記録する済州4・3記憶運動を」(ハンギョレ日本版)

 

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