済州四・三 76周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

呉光現遺族会長が冬栢章受章

呉光現・在日本済州四・三犠牲者遺族会会長(聖公会生野センター総主事)が、このたび2020年「第14回世界韓人の日」記念・有功同胞褒章受章者として、韓国政府より国民勲章冬栢(ツバキ)章を授与され、さる2020年12月4日、大阪市内のホテルで褒章伝授式が挙行されました。

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呉光現会長は、地域社会の人権運動の中で障がい者、高齢者とともに歩み、また大阪における四・三運動の中心となって活動されたことが評価されました。心よりお祝い申し上げます。

【韓国政府が受章理由とした主な功績】

△在日同胞における権利の保護及び向上に寄与し、△民族教育を通じて青少年に対する民族アイデンティティの養成に貢献しました。また、△済州4・3関連活動を通じて同胞社会の団結と歴史意識を高めるよう努力してきました。(駐大阪韓国総領事館のWebサイトより)

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駐大阪大韓民国総領事館Webサイト掲載記事

本ブログでは、呉光現会長が伝授式で述べた謝辞、文京洙・立命館大特任教授が『済州新報』に寄稿した記事、呉泰奎・駐大阪韓国総領事のFacebook投稿記事(ハングル)、柳時京司祭が聖公会生野センター機関誌に寄せた記事、作家金吉浩さんが『済州トゥデイ』に寄稿した記事へのリンクを紹介します。

謝辞 
特定非営利活動法人 聖公会生野センター 総主事 呉光現

この度は、冬栢章という私にとっては過分の章を頂いたことを関係者皆様に感謝しております。

大阪生野の済州島出身の両親の元に生を受け、63年という歳月が過ぎました。

日本名ではなく本名で生きる決意をした青年時代。韓国の民主化運動に邁進した学生時代。在日同胞の子どもたちと過ごした日々、そこから障碍者との出会いがありその生活を支援もして来ました。

又、済州四・三が在日同胞、特に済州島出身の私たちに大きな傷を残してきたことを知りました。この20年間済州四・三の慰霊事業を大阪で行ってきて、ついには2018年には念願だった済州四・三犠牲者慰霊碑を建立することができました。

私が歩んで来た道はすべて私一人ではありません。そこにはいつも家族や多くの人びとが一緒にいてくれました。

今、冬栢章を頂くにあたり在日同胞の次の世代、障碍者の友人たち、済州四・三で苦しみを受けてきた多くの人びとがこの社会で可視化されたという意味であると思うと喜びもひとしおです。

新約聖書ルカによる福音書には「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない」とあります。これからもこの世と、歴史の中で谷間に置かれている人たちが自分らしく堂々と生きて行くことができるように共に歩んで参りたいと思います。

心より感謝申し上げます。

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감사의 말씀  
특별비영리활동법인 성공회 이쿠노센터 총주사 오광현

이렇게 동백장이라는 과분한 훈장을 받게 된 것을, 관계자 여러분께 감사드립니다.

오사카 이쿠노에서, 제주도 출신 부모님 밑에서 태어나 63년이라는 세월이 흘렀습니다.

일본이름이 아닌 제 본명으로 살아가겠다는 결의를 했던 청년시절. 한국의 민주화운동에 매진한 학생시절. 재일동포 어린이들과 함께보낸 세월. 그리고 장애인들과 만나 그 생활을 지원하며 살아왔습니다.

또한, “제주4·3”이 재일동포, 특히 제주도 출신들에게 큰 상처를 남겼다는 것도 알게 되었습니다. 지난 20년간, “제주4·3 위령사업”을 오사카에서 진행해 왔으며, 마침내 2018년에는 그토록 염원하던 “제주4·3희생자 위령비”를 건립할 수 있었습니다.

제가 걸어 온 길은, 그 모두, 저 혼자가 아니었습니다. 제 곁에는 언제나 가족과 많은 분들이 함께 해 주셨습니다.

이렇게 동백장을 받게 된 것은, 다음 세대의 재일동포들과 장애를 가진 제 친구들, 그리고 제주4·3으로 고통을 받아 온 많은 분들을 이 사회에 가시화 시킨 의미라고 생각해 기쁘게 생각합니다. 

신약성서 누가복음에는 「숨겨진 것은 드러나기 마련이고, 감추어진 것은 알려지기 마련이다」라는 말씀이 있습니다. 앞으로도, 이 세상과 역사의 어두운 골짜기에 놓여진 이들이 자기답게, 당당하게 살아 갈 수 있도록, 계속해서 그들과 함께 걸어가고 싶습니다.

다시 한 번, 진심으로 감사 드립니다. 

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呉光現在日四・三遺族会長の椿章受章 
文京洙(立命館大特任教授)

去る4日、大阪の日航ホテルで韓国の国民勲章と大統領団体褒章の授与式が厳格な防疫対策が施されるなかで執り行われた。今年、日本地域では5人の同胞と5つの団体が勲章・褒章の対象に選定された。この日の授与式(正式には「勲褒章伝授式」)で晴れの名誉に浴したのは大阪総領事館の管轄区域となる関西地域で、王清一民団京都本部常任顧問と団体褒章のコリアNGOセンター(郭辰雄代表)、そして呉光現在日本済州四・三遺族会会長が椿章を授与された。

授与式の冒頭、挨拶に立った呉泰奎駐大阪総領事は、「とくに呉光現代表とコリアNGOの受章は同胞社会にあって底辺の目立たないところで黙々と活動してきたことが認められたという点で、格別な意味があると思います」と述べている。おそらく、民団など韓国政府に直結する団体や機関に属さない、在日同胞独自の地域社会での活動が、韓国政府が選定する勲褒章の対象となるのは異例のことなのではないだろうか。ましては、呉会長の受賞理由の一つに日本での済州四・三への取り組みが挙げられたことは、日本で四・三運動に取り組んできたすべての人にとって大変意義深いことだと思われる。

大阪を中心とした関西地域は、「済州四・三のもう一つの現場」といわれるほどに済州四・三とゆかりの深い。解放前の1930年代には済州島の人口の5分の1がこの地域に住み、解放後、一度帰国した済州人の多くが四・三を前後する混乱期にこの地に逃れている。したがって四・三の真相究明をはじめとする問題解決は、この地域での四・三の真実の探求なしにはあり得ないといえる。

こうした大阪での四・三運動の転機となったのが1998年3月、大阪生野区民センターで開催された済州四・三50周年の慰霊祭だった。「沈黙を越えて」と題した50周年の慰霊祭では、済州から著名な重要無形文化財のシンバン(심방:済州でシャーマンを指す語)を招いて、済州出身の一世たちや四・三体験者たちの怨恨を慰撫するクッ(굿:シンバンに神を憑依させて執り行う民俗儀礼)が演出された。600人が集った会場は、シンバンの語りと舞に呼応して、ときに笑い、ときに涙する一世たちの熱気に沸いた。

実は、四・三の慰霊祭にクッを行うということについては在日二世中心の実行委員会のなかでも反対論が多かった。さらに1998年は金大中政権が出帆する年であったが、大阪の総領事館は保守政権時代に派遣された要員が占めていて、四・三行事自体を許さないという姿勢を示していた。こうした逆風の中で50周年の慰霊祭を主導したのがまさしく呉会長であった。呉会長は、大阪の同胞社会での長年の地域活動の経験や、聖公会のネットワークを通じた韓国の民衆運動の現場での交流体験を通じて、一世たちの心に寄り添う活動方式やアイデアを磨いてきたといえる。

大阪の四・三50周年慰霊祭は、在日二世や日本の心ある市民中心の四・三運動が大阪の同胞社会に根を下し、四・三を体験した当事者たちと共に歩む運動に脱皮するうえで決定的な契機となった。50周年の慰霊祭以後、呉会長は毎年の慰霊祭の開催に努める一方で、在日の遺族会の設立にも奔走した。韓国で「四・三特別法」が制定された2000年、故・康實先生を初代会長とする在日本済州四・三遺族会が結成され、呉会長は事務局長に就任した。2009年には遺族会長に就任し、聖公会生野センターの総主事として地域社会での人権運動に取り組みながら、毎年の慰霊行事の開催など大阪での四・三運動の先頭に立っている。済州四・三70周年にあたる2018年には念願の済州四・三慰霊碑が大阪統国寺に建立されるが、この慰霊碑建立でも呉会長は大きな役割を果たした。

在日同胞社会は、いわば<南>と<北>が同じ生活空間を共有する社会であり、四・三運動においてもこれに見合った特有の位相と課題が提起される。呉会長の受賞はそうした在日同胞社会の四・三運動についての韓国社会での理解を深め広めるという点でも大きな意義があるといえよう。

(『済州日報』2020年12月10日付記事の日本語版。ハングル記事に一部記述を補足)

大阪通信(Facebook記事、2020年12月4日) 
呉泰奎(駐大阪韓国総領事)

<오사카 통신> 매년 10월5일은 세계 한인의 날이다. 올해가 14회째이다. 정부는 이날에 해외동포 지도자들을 초청해 기념식을 열고, 대통령이 재외동포 유공자들에게 훈포상을 수여해왔다. 통칭 750만명에 이르는...

Taikyu Ohさんの投稿 2020年12月4日金曜日

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歴史を生きる猪飼野の在日二世として、一クリスチャンとして~呉光現氏への韓国国民勲章「冬栢(つばき)章」叙勲にあたって 
司祭 ステパノ 柳時京

コリアンディアスポラという言葉がある。ユダヤ人の世界的分布は広く知られているに対して、意外に海外韓国人の現状はあまり知られていない。実は、2020年現在全世界193カ国に750万人が住んでいる。韓国の総人口の8%に達する規模だ。中には日本に住む約50万人の在日韓国朝鮮人も含まれている。

このような海外韓国人の数と分布には、韓国の近現代における苦難の歴史が込められている。特に日本帝国主義による侵略と植民地支配、朝鮮戦争と南北の分断といった苦難の結果として残された負の遺産ともいえる。

しかし、歴代の韓国政府は、海外の韓国人の存在について否定的であった。恐らく朝鮮戦争からの復興を最優先したことで、海外の国民までは手が届かなかっただろう。同時に、初代大統領の李承晩によるいわゆる棄民政策(特に在日を切り捨てた)や、続く軍事独裁政権下で南北対決が激化して、祖国の分断と対立は、海外の韓国人社会においても分裂と憎悪をもたらすばかりで、韓国政府の同胞への支援や緊密な関係は皆無だった。

そういう中で、海外韓国人の存在は、むしろ同胞自らの祖国への愛と献身から端を発した。文在寅大統領は今年の海外同胞へのメッセージを通して「皆様の生は一度なりとも祖国と離れたことがない。遠い異国から苦労して稼いだお金を独立運動の資金として送ってくれて、祖国の経済発展と民主化、平和への道を共に歩いて来た」と高く評価し、「喜びと悲しみを共に抱いて来た同胞への感謝」を述べた。

韓国政府は、遅ればせながら2007年に「世界韓国人の日」を制定した。その目的には「海外の同胞の存在を知らせ、彼らに韓国人としての誇りや勇気を与えるため」とあり、毎年この日に合わせて国民勲章の叙勲を授与している。このような政策の変化の背景には、民主政権の登場と経済的な成長が深く関係している。苦難の歴史やそれを生き抜いできた海外の同胞に目を逸らしてきた以前の政権と違い、過去の歴史への正当な評価を掲げた民主政権のもとで、国内外を問わず、韓国人全体の国として改めて位置づけ始めたのだ。

今年の第14回目韓国人の日を迎え、韓国政府は聖公会生野センターの総主事である呉光現氏を叙勲者に選んだと発表した。叙勲の格では木槿章(1人)、牡丹章(3人)に次ぐ冬柏(つばき)章の6人の一人として叙勲された。これに次ぐ国務総理表彰(20人)には、アメリカ聖公会ロスアンゼルス聖ジェイムズ教会の牧師で、ロスの韓国人ホームレスの支援活動に尽力している金東鎮司祭も選ばれている。

今回の勲章は、先ず在日として自分の歴史に真摯に向き合い、日本社会の変化を求めながら活動を繰り広げてきた呉光現氏への叙勲である。それと同時に、張本栄司祭により設立された聖ガブリエル教会と生野センターを通して日本聖公会と韓国聖公会とで積み重ねてきた協働の働きへの評価でもある。またその働きを支えてきている大阪教区の宣教への一定の評価とも言える。

わたしは、ここで呉さんの若き頃の自伝から一部を引用して紹介したい。

「わたしが通っていた生野区の小学校も中学校も、児童・生徒の約半数が在日でしたが、出席簿ではまず日本人が男女あいうえお順で、そのあと、わざわざ一行空けて、在日の名前が並んでいました。生徒会の役員選挙でも、教師が開票するときに票を不正操作して、小・中学校九年間で朝鮮人が児童会や生徒会の会長になったことがないなど、差別がまかり通っていました。高校時代に「朝鮮文化研究会」に入り、ようやく少し民族意識に目覚めましたが、テニスに明け暮れ、あまり熱心な部員ではありませんでした。

~高校生のとき、本屋でたまたま金石範(キム・ソクボム)著『鴉の死』(新興書房、1967年)を見つけましたが、当時のわたしは在日朝鮮人作家がいることも知らず、朝鮮語の作品の翻訳だと思っていました。でも高校生になり、いろいろ感受性に影響を与える出来事に出会いながら育っている最中だったので、「在日朝鮮人の文学があるんだ」と興味を持ち、『鴉の死』を読んでみました。すると済州四・三事件をテーマにした小説で、両親が済州島出身ということも知っていたので、アボジに「さいしゅうとうよんさんじけんて何?」と聞きました。するとアボジは突然「誰に教えてもらった!」と烈火の如く怒り、わたしの頭をぶん殴ったんです。」(「在日二世の記録」、小熊英二高賛侑・高秀美編、集英社新書、2016年/39章 在日済州島出身者に深い傷跡残した四・三事件の完全解決を、549~頁より、以下略)

呉さんは、この時の新たな気づきから、人権と平和、闇に包まれていた歴史の真相究明など、新たな道を歩むことになりました。私は、その誠実な歩みへの励ましとして、今回の叙勲の意味がると捉えています。

30年に渡り、先輩であり親友として付き合ってきたクリスチャン同士の仲間として呉さんの叙勲をお祝いしながら、ここに叙勲された諸活動の主な履歴のみ簡単に記しておく。

1977~大学の韓国文化研究会参加、在学中私立小学校で民族学級ボランティア活動
1982~生野地域活動協議会に就職、在日同胞権利獲得運動展開
 在日外国人指紋押捺外国人登録証常時携帯義務制度撤廃運動、裁判闘争の事務局
1986 指紋捺印拒否
1992~聖公会生野センター主事に就任、以降日韓聖公会の協働活動に参加(歴史認識学習、現場訪問、青年リーダシップ育成、社会福祉社会的企業などの宣教分野での連帯交流)
1993~2003 在日同胞ラジオ放送局「FMサラン」運営
1995~在日精神障害者のためのボランティア活動~NPO法人ヒット会の設立(事務局長と理事長歴任)
1997~済州四・三事件50周年記念式準備から参加、領事館の妨害や民族団体の対立と無関心を乗り越え、「当事者や遺族の証言収録と恨みを解く」「真相究明のための調査と研究」を目標に活動しながら、慰霊祭を毎年開催。以降2004年56周年記念式では韓国民団・朝鮮総聯と共に民族和解の式となる。
2008~済州四・三事件60周年記念式に故郷訪問を実現、在日1世故郷訪問プロジェクト支援
2018 済州四・三事件70周年訪問団に大阪から100人、大阪でのシンポジウムに700人、11月に大阪天王寺区統国寺に「済州四・三犠牲者慰霊碑」建立
2019 3.1独立運動100周年を迎え2.8独立宣言記念合同礼拝や記念式(東京)

聖公会生野センター機関誌『울림(ウルリム:響)』第72号、2020年11月、に抜粋版が掲載。)

 [金吉浩の日本の話]「在日本済州4・3遺族会」呉光現会長冬栢章受勲(済州トゥデイ、2020年12月15日)

 

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