済州四・三 76周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

4・3受刑者335名に再審無罪判決!

済州地方裁判所第2刑事部は2021年3月16日、4・3当時の軍事裁判で有罪判決を宣告され、服役中に行方不明となった333名と生存者2名の合計335人に対する再審で、全員に無罪を宣告しました。韓国の司法史上、例のない多数への再審無罪宣告であり、韓国の過去清算がまた大きく前進した日でもありました。

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ここでは記事2篇の翻訳と、関連ニュース動画・記事へのリンクを紹介します。

4・3当時の軍事裁判335名「無罪」…72年、断腸の思いだった遺族の恨(ハン)が晴れた!(済州の声2021/03/16)

一般-軍事裁判、合計335名無罪宣告…裁判部にクンチョル(最も丁寧なお辞儀)-「遺族と弁護士がもっと苦労した」という言葉も

「72年の私たち4・3遺族の恨(ハン)を晴らしてくれた裁判長にクンチョルを捧げます」

済州地方法院第201号法廷では16日一日中、「嗚咽」と「笑い」、「拍手音」が絶えなかった。4・3当時の生存受刑者と不法軍事裁判での行方不明者に対する再審の結果、335名全員に「無罪」判決が下されるさなかのことである。

済州地方法院第2刑事部(裁判長カン・チャンス部長判事)は16日午前10時から午後6時まで、国防警備法及び内乱実行などの嫌疑で、1949年に軍事裁判を受け、陸地(本土)刑務所で行方不明となった故キム・スンウォンさんなど333名と、生存受刑者2名など、計335名に対する再審を進行、全員に「無罪」を宣告した。

この日の裁判は4・3事件当時、軍事裁判および一般裁判での行方不明者と生存受刑者335名に対する特別公判期日に開かれた。

裁判は再審請求人たちが無罪判決の歴史的現場を傍聴することを望み、午前10時から午後6時まで10~20名ずつ順番に弁論を開き、宣告する方式で21回にわたって裁判がなされた。

チャン・チャンス裁判長が被告人遺族に国民参加裁判の可否を尋ね、遺族が望まないと答えると、検事の全員陳述、求刑、最終弁論、宣告の順に、裁判は速戦即決で進められた。

とくにチャン・チャンス裁判長は、無罪が宣告されるたびに、該当事件の被告人の中から1、2名の事例を紹介し、気の毒な気持ちを示して、「今日の無罪宣告で心の平安を取り戻すよう願う」と述べた。また事件ごとに遺族一人ずつの名まえを呼び、語りたいことを述べられるよう機会を与えた。

第1回裁判から無罪が出るや、泣き出しそうになっていた被告人遺族たちは、法廷でついに「嗚咽」を破裂させた。70歳を超えた一部の遺族たちは、判事に「4・3遺族の恨を晴らしてくれてありがとうございます」と言いながら、クンチョルを捧げようとすると、法院警官と判事がとどめる「騒動」(?)も起こった。

済州道都市建設局長を歴任したパク・ヨンヒョン遺族は、1949年国防警備法違反で5年刑を宣告され、西大門刑務所で獄中生活をしているときに朝鮮戦争が勃発し、脱獄囚として記録されていた祖母の遺影写真を手にして、周囲を粛然とさせた。

裁判長は4・3遺族であるチャン・チョンオン前国会議員にも発言権を与えた。

チャン・チョンオン前議員は「私の母は上軍(腕前のよい)海女で、91歳で亡くなられたが、毎日海に出向きながら『息子に会いに行く』と言っていた」として「海女の仕事をしながら息子に会うことはできなかったが、今日、天国で会っているだろう。裁判長、ありがとう」と述べた。

チャン前議員は「済州道民はみな4・3と関わっている。今日、無罪という言葉に、私たち遺族はもちろん、済州道民に平和を与えてくださった」として「済州人も今こそ力を出し助け合って、共に生き、いっそう堂々と生きていく未来と希望をくださった。感謝し、忘れない」と、感謝の意を表した。

チャン・チャンス裁判長は判決を下しながら、イ・フィソン作家の本『私が好きなもの、済州』から「苦痛は慰めるものではなく、一緒に感じるもの」という一節を引用して関心を集めた。

チャン裁判長は「苦痛は慰めるものではなく、一緒に感じるものだと言った。4・3事件についてきちんと知れば、済州道の人々がなぜ初めて会う人々に口を閉じるしかないのか、心のうちを先に吐露することができないのか、なぜ男がそのように少ないのか、済州の女性たちが一日一日何とか生きていくしかなかったのか、答えを探すことができる」として「済州の肌は、そのように膿んで癒え、さらにかさぶたが剥がれて潤みながら、厚く固く変わっていった、という内容がある」と紹介した。

またチャン裁判長は自分に向けて感謝する遺族に「裁判部に感謝し、ありがとうとおっしゃるが、今日の宣告があるまで多くの活動をなさった遺族たちがたくさんいらっしゃる」として「今日の手続きのために努力してくださったムン・ソンユン弁護士もいらっしゃる。拍手はムン弁護士に送って欲しい」と頼んだりもした。

72年間、無念の軍事裁判で、受刑者として、子孫たちは連座制によって、苦痛を受けてきた4・3犠牲者と遺族の恨は、10分余りの短い裁判で335名全員が「無罪」判決を受けた。

済州地方法院はさる1月21日にも、4・3当時の内乱実行と国防警備法違反の嫌疑で軍事裁判を受けた故オ・ヒョンリュルさんなど、行方不明の受刑者10名に対する再審公判で、無罪を宣告したことがある。

今後、無罪宣告の結果によって、4・3行方不明者遺族の刑事補償請求訴訟が続くだろうと予想される。

また済州4・3特別法改正案の通過で、今後は遺族の個別の再審請求よりは検察の職権再審請求などで、残りの被告人に対する再審手続きも進められると展望される。

「やっといま父の死は無罪、嬉しいが、一方では悲しい」(ハンギョレ2021/03/16)

済州4・3 「受刑行方不明者」335名、全員無罪

司法史上、類例のない判決に法院[原文は법안:法案]内外で歓呼と涙

「今日は父のチェサ(法要)の日…『4・3無罪』と書いて捧げたい」

「法が恐ろしく法がありがたい」…「クンチョル(最も丁寧なお辞儀)を捧げたい」

「あの世から来た330余りの霊魂にかわって黙礼を捧げる。」

16日午前、済州地方法院第201号法廷で開かれた再審請求訴訟で無罪が確定されるとすぐに、4・3当時、行方不明となった故パク・セウォンさんの息子パク・ヨンスさんは立ち上がり、裁判部に黙礼を捧げた。

済州4・3当時、違法な軍事裁判を受け、無念の受刑生活の中で行方不明になったいわゆる「受刑行方不明者」335名(一般裁判生存者の2名を含む)の再審請求訴訟宣告公判が、この日午前10時から午後6時まで13~21名の単位で18回にわたって進められた。裁判部は内乱罪と国防警備法違反の嫌疑などで懲役刑を受けた335名全員に無罪判決を下した。大韓民国司法史上類例がない再審請求訴訟の規模であり、335名全員が無罪判決を受けたことも前例がない出来事だった。

裁判長チャン・チャンス部長判事は「国家が完全なアイデンティティを持てなかったとき、被告人は命さえ奪われ、子どもたちは連座制に縛られた。これまで彼らがどのように考えながら人生を過ごしてきたのか、果たして国家は何のために、そして誰のために存在するのかと、何度思いをめぐらしたのか、私たちには分からない」として「今日のこの宣告で、被告人とその遺族たちに、幾重にも覆い被さったくびきが放たれ、故人となった被告人が黄泉の国でも左右を問うことなく、器に盛ったジャガイモ飯に、マノンジ(ニンニクの漬物)だけでの食膳であっても、懐かしい人と心安らかに席をともにし、情を交わす日となることを、生き延びた私たちはこのようなことが二度と起きないように願う」と述べた。

済州4・3遺族会長を務めたホン・ソンスさんは父の無罪宣告が下されるとすぐに、「クチョルを捧げてもよいか。永遠に忘れられない今日のこの日のようだ」と涙をぬぐった。法廷では無罪判決が出るたびに歓呼の拍手の音が続いた。高齢の女性たちは、この間こらえてきた涙を流しもした。

裁判開始1時間30分前から待っていたイ・イムジャさん(79)、イ・ソクチョンさん(77)の兄妹は「今日が行方不明となった父(イ・シジョン・当時33)のチェサの日」と語った。ソクチョンさんは「刑務所で行方不明となったので誕生日にチェサを執り行なうのですが、ほかならぬ今日なのです。チェサの膳にごちそうと「4・3無罪」という言葉を書いて捧げたい」と上気した表情をしていた。

父(ペク・ウンギ)が大田刑務所で行方不明となったペク・ヨオクさん(79・済州市朝天邑)は「父の死が認められ無罪になって嬉しいが、一方では悲しい」と語った。ホ・スンジャさん(77・済州市旧左邑)は父の無罪が宣告されるやいなや「祖母が生きていたとき、息子兄弟をみな奪っていった国が、私たちをアカと言うと話しながら、毎日泣いて暮らした。祖母が生きていたら、どんなに喜んだだろうかと、考えだけでも胸が痛い」と胸をたたいた。父(カン・ムンス)が木浦刑務所で行方不明となったカン・チョンヒャンさん(79・済州市奉蓋洞)は「生きていたら、こんな日もあるんだな」と言って涙を流した。カンさんは「母は遺族申請をするのも怖がって、去年97歳で亡くなった。幼いときは法が恐ろしいだけだったが、今は法がありがたい」と語った。

西大門刑務所で行方不明となった祖母(カン・アセン・当時39)の写真を持って法廷に出廷した遺族もいた。パク・ヨンヒョンさん(68・済州市翰林邑今岳里)は「父が数年前に亡くなったとき、長男である私が祖母の恨(ハン)を晴らして差し上げると約束した。今日その約束を守ることになり、あまりにも嬉しい」と感激していた。

済州4・3の時期である1948年と1949年の軍事裁判を受けた人は「受刑者名簿」上、最小限2,530名である。これらのうちの相当数は朝鮮戦争勃発直後に集団虐殺された。済州4・3当時、行方不明となった人は全体で4,255名にのぼると調査されている。

先月26日、国会で通過した済州4・3特別法全面改正案では、軍事裁判および一般裁判の受刑者は特別再審または一括再審を通じて、再審請求訴訟ができるようにし、名誉回復の道がもう少し簡単になる展望である。

徐台教「「済州4.3事件」受刑者335人に無罪…約70年ぶりに名誉回復」(The New Stance 2021/03/17)

済州、4・3受刑者335名「無罪」…「73年のくびき」解いて【動画】(JIBSニュース2021/03/16)

4・3受刑者再審無罪宣告…「70年超える恨(ハン)が晴れました」【動画】(KBS済州2021/03/16)

4・3理念の狂風に濡れ衣を着せられた18~19歳の青春、90歳になって「無罪」【動画】(済州の声2021/03/16)

4・3で初の集団無罪宣告 「もう兄さんは在任ではない」(オーマイニュース2021/03/16)

済州4・3再審で行方不明者・生存受刑者335名「全員無罪」…裁判部「耐えてきた方々に敬意」(京郷新聞2021/03/16)
済州4・3平和財団、4・3行方不明受刑者再審「無罪」宣告歓迎(時事フォーカス2021/03/17) 

済州道議会4・3特委「受刑者・行方不明者無罪判決、歓迎」(済州の声2021/03/17)

 

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