済州四・三 76周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

文在寅大統領73周年4・3追念辞

第73周年4・3犠牲者追念辞(2021年04月03日)

尊敬する国民のみなさま、
4・3生存犠牲者と遺族のみなさま、
済州道民のみなさま。

73周年4・3犠牲者追念の日、済州全域に春の雨が訪れています。
生存犠牲者と遺族の痛みが雨に洗い流されることを心から願いながらこの場に立っています。

国防部長官と警察庁長もこの場を共にしています。
政府主管の公式追念式は史上初です。
当然なすべきことではありますが、初めての一歩には特別な意味があります。
軍や警察の心を込めた謝罪を犠牲者と遺族、済州道民のみなさまが包容と和合の心で受け入れていただくことをお願い申し上げます。
国家が国家暴力の歴史をより深く反省し、省察していくという気持ちです。
遺族の苦しみを少しでも和らげられることを願いながら、国民とともに4・3英霊の安息を祈願します。

本日、「4・3特別法」の改正を報告できることを嬉しく思います。
追加真相究明や被害者の名誉回復、国家暴力の犠牲者への支援方法を盛り込みました。
特別法の改正により、4・3は本来の姿を取り戻すことができました。
済州道民が経験したむごい死、二重、三重にがんじがらめにされていた頸木が隈なく明らかになったとき、良き国を夢見ていた済州島の4・3は初めて歴史に正しく位置付けられることでしょう。

今回改正された特別法は4・3という歴史の家を建てる設計図です。
まだ道のりは遠いですが、政府は4・3英霊と生存犠牲者、遺族と国民の念願を込めた設計図を綿密に描き、誠実に遂行していくことを約束します。

国民のみなさま、
済州道民のみなさま。

4・3には二つの歴史が流れています。
国家暴力によって国民の生命と人権を蹂躙した韓国現代史最大の悲劇の歴史であり、平和と人権に向けた回復と相生の歴史でもあります。

完全な独立を夢見て、分断に反対したという理由で当時の国家権力は済州道民に「アカ」「暴動」「反乱」の汚名を着せ、無慈悲に弾圧し死に追いやりました。
「被害者」を「加害者」にでっち上げて、軍部独裁政権は弾圧と連座制を動員し被害者たちが声を上げることすらできないようにしました。

しかし4・3は対立と苦しみに閉じ込められませんでした。
生き残った済州道民たちは互いを労り、助け合いながら自らの力で春を取り戻すために力を尽くしてきました。
和解の精神によって葛藤を解決し、平和と人権に向かって絶えず前進しました。

家財道具も全て失った人々は隣村の助けで手間賃を得て生計を立て、大工を雇って家を立て直しました。
両親を失った子供たちは近い親戚と隣人によって育てられ、薪集め、畑仕事、法事と結婚式、学校の再建などの大事は村が一丸となって処理してきました。
島の外に出た人々、外国に出た人々も物品とお金を送ることで故郷の人々を助けました。

相生の精神によって互いを奮い立たせ、ついに4・3の真実を呼び覚ますことができました。
半世紀ぶりに禁忌を解き、金大中政府が真相究明と名誉回復の礎をつくることができたのは勇気を振り絞った証言と行動が続いたことによります。
2003年盧武鉉政府が政府レベルの真相調査報告書を確定し、大統領としては初めて過去の国家権力の過ちに関して遺族と済州道民に公式の謝罪をしたことも、そして今の政府が4・3の真実に迫りえたことも長い間揺らぐことなく隣人とともに一歩ずつ歩んだ済州道民と国民のみなさまがいたから可能でした。

今回の「4・3特別法」の改正も、4・3を歴史に正しく位置付けるために生きるものがみな手を繋いだから叶えることができました。
済州道、済州道議会、済州道教育庁を含む124の機関と団体、宗教界、学生、政党をはじめとするさまざまな分野の済州道民が一つになって「4・3特別法改正を勝ち取るための共同行動」を立ち上げ、結束して取り組みました。

「全国市道知事協議会」「全国市道議会議長団協議会」「全国市道教育監協議会」が特別法改正に声を上げ、全国各地の市道議会でもそれぞれ改正を促す決議案を採択し、済州道民の念願を叶えるために協力しました。
国会でも与野党関係なく力を合わせました。
「4・3特別法」改正が与野党の合意によってなされたことは21代国会の最も大きい成果の一つとして評価されるでしょう。
この場を借りて特別法の改正に力を合わせた各界各層の全てのみなさまに深い感謝と尊敬の言葉を捧げます。

国民のみなさま、
済州道民のみなさま、

今回の特別法改正によって1948年、1949年当時軍法会議で受刑者となった2430人の方々に、一括再審を通して名誉回復の道が開かれました。
すでに2019年と昨年、2回の再審で生存受刑者の25名が無罪宣告を受け70年間解くことのできなかった足枷から自由になりました。
先月の16日には行方不明受刑者333名、一般裁判生存受刑者2名が再審裁判で無罪判決を受けました。

殺人的な取り調べや拷問の末に名前だけを読み上げるといった裁判を経て、罪人の烙印を押されたまま生きてきた70年余り、幼い少年たちが90歳を超えたおじいさんとなってようやく「無罪」の二文字を貰い受けることになりました。
家族を失い、名誉と尊厳、故郷と夢さえも取り上げられた2162名の方々の特別再審がまだ残っています。
政府は一人一人の真相究明と名誉回復、賠償と補償を通して国家暴力によって失ったものを少しでもお返しすることで国家の責任を果たしていきます。

どのような方法でも過去の蟠りを完全に解くことはできませんが、政府は、追加真相調査はもちろん、受刑者の名誉回復のための継続的な措置にも万全を期していきます。
賠償、補償においても公正で合理的な基準を設けるために最善を尽くします。
未だ行方不明の家族を見つけられず、胸を焦がす遺族が多いです。
数日前、加時里で発掘された3体の遺骸を含め、今まで遺骸として戻ってこられた408名のうち275名はまだ身元の確認ができていません。
政府は遺骸の発掘と共に遺伝子鑑識を支援し、必ず故人を家族の元にお返しします。

昨年5月から「4・3トラウマセンター」が示範運営されており、開所9ヶ月で約1万2千人の方がトラウマセンターを訪れました。
犠牲者の方々と遺族が思い出したくないあの日の記憶を引き出し、一人でかかえていなければならなかった蟠りをとくことができることには、遅まきながらもやりがいを感じます。
傷つけられた方々の心を治癒するためにご尽力くださった済州4・3平和財団及び4・3トラウマセンター関係者のみなさまに深く感謝申し上げます。
政府は関連法律が制定され次第、国立トラウマセンターに昇格させ、多くの方々の痛みが完全に癒えるよう支援します。

尊敬する国民のみなさま、
4・3生存犠牲者と遺族のみなさま、
済州道民のみなさま、

4・3平和公園内の記念館には未だに名前のつけられない白碑が横たわっています。
済州には73回目の春が訪れましたが、4・3が到達すべきところはまだ遠いです。
空白になっている碑石にどのような名前が刻まれるかはまだ分かりませんが、明らかになった真実は統合に向かう原動力となり、取り返した名誉は私たちをより大きい和合と相生、平和と人権へ導いてくれることだけは明確です。

済州に完全な春が訪れるその日まで、私たちは互いの手と手をよりかたくとり合いましょう。
ありがとうございます。

原文(韓国・青瓦台サイト) 

 

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