済州四・三 76周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

慰霊碑除幕式を伝える日本の報道

済州島弾圧の悲劇忘れぬ 天王寺四・三事件慰霊碑(読売新聞2018/11/18 大阪地方版 大阪朝刊 29頁)

韓国・済州(チェジュ)島で1948年、島民3万人が犠牲になったとされる「四・三事件」の慰霊碑が、遺族が暮らす大阪市天王寺区の統国寺に建立され、18日午後1時半から除幕式が開かれる。事件は韓国や在日コリアンの間で長らくタブーとされていたが、近年検証が進み、遺族らは日本でも伝え残したいと願っている。(桑田睦子)

きょう除幕 遺族「平和の礎に」

「島から持ってきた石や」。事件で叔父や親戚を亡くした呉光現さん(61)は9日、統国寺の境内で、済州島の叔父の故郷から持ってきた石を高さ3・6メートルの慰霊碑に並べた。

済州島からは戦前、多くの島民が仕事を求めて大阪に渡航した。一部は日本の敗戦で島に戻ったが、事件前後、難を逃れて大阪に密航する島民もいたという。

80年代後半から、韓国の民主化とともに事件の検証が進み、2003年には盧武鉉ノムヒョン)大統領(当時)が公式に謝罪を表明。呉さんら大阪などに住む遺族も00年に遺族会を結成し、慰霊祭やシンポジウムなどを行ってきた。

慰霊碑は、大阪産業大の藤永壮教授(朝鮮近現代史)が「事件から70年を機に記憶の継承を」と提案し、今年2月から遺族らと募金活動を始め、両国の約350の個人や団体から目標を上回る約500万円を集めた。

慰霊碑には「故郷とのつながりを感じられるように」と島の石を並べることにし、当時、島内にあった村の数と同じ178の石を、現地の許可を得て運び出した。

呉さんは「事件は島民が半島の分断を拒む中で起きた悲劇。碑を平和な社会を作る礎にしたい」と話した。

四・三事件

1948年4月3日、朝鮮半島の南北分断につながる「南朝鮮」単独での総選挙に反対する島民らが警察署を襲撃。54年にかけ、軍や警察による鎮圧で、島民3万人が犠牲になったとされる。文在寅(ムンジェイン)大統領は今年4月3日の追悼式典で「国家による暴力」だったとして謝罪した。

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済州島 悲劇語り継ぐ 弾圧事件遺族ら 大阪に慰霊碑 きょう除幕式(日本経済新聞2018/11/18 大阪朝刊 31頁)

韓国の済州島で1948年、朝鮮半島の分断に反対した島民が軍や警察に弾圧された「4.3事件」の犠牲者を悼もうと、大阪へ逃れた元島民の遺族らが大阪市内に慰霊碑を建てた。死者は3万人と言われ、韓国で長くタブー視されてきた。事件から70年。18日に除幕式を開く予定で、関係者は「悲しみの記憶を後世へ伝えたい」と話す。

「3万人の島民が犠牲となった悲劇である」。韓国にゆかりの深い統国寺(大阪市天王寺区)の境内にこのほど、日本語とハングルで文字が刻まれた慰霊碑が完成した。中心になって進めたのが、「在日本済州4.3事件犠牲者遺族会」の会長、呉光現さん(61)だ。

両親は済州島出身で、事件前に大阪に移り住んだ。高校生のころに本で事件を知り、軽い気持ちで父に尋ねた。いつもは温厚な父が激高し、「誰に教えてもらった!」と呉さんの頭を殴った。

事件は韓国で長く「共産主義者の暴動」と伝えられ、在日コリアンの間でも反体制と思われるとしてタブーだった。父の死後の82年に済州島の親戚を訪ねた際、事件で父の弟が犠牲になったと聞いた。呉さんは「つらい記憶を押し殺していたのだろう」と、手を上げた父の気持ちを推し量る。

混乱から逃れるため、大阪には事件を体験した島民の一部が移り住んだ。「ここから慰霊の祈りをささげられないだろうか」。事件から50年がたった98年に仲間と開いた追悼式典には数百人が集まった。

2000年には遺族会も結成し、済州島での追悼式典に参加。経験者の大半が80歳を超え渡航が難しくなる中、今年3月に「日本に慰霊のシンボルを」と考えて支援を募ると、予定の350万円を上回る寄付があった。

近年は「事件を風化させない」と自らの体験を語り始める在日1世が増えているという。遺族会は高校生らと在日1世の食事会なども開いており、呉さんは「悲劇を繰り返さないためにも世代を超えて事件を語り継いでほしい」と願う。(大畑圭次郎)

済州島4.3事件 蜂起鎮圧 3万人犠牲に

1948年4月3日、朝鮮半島で南部だけの総選挙に反対した一部の民衆が済州島武装蜂起。軍や警察が鎮圧する過程で、無関係の多くの島民が捕まったり殺されたりした。弾圧は54年まで続き、約3万人が犠牲になったとされる。

韓国政府は弾圧の正当性を主張していたが、99年に特別法が制定されて調査が進み、2003年に当時の盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領が「過去の国家権力の過ち」とし、遺族と島民に大統領として初めて謝罪した。

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4・3事件 済州島の悲劇 後世に 天王寺・統国寺 慰霊碑の除幕式(毎日新聞2018/11/20 大阪地方版 大阪朝刊 24頁)

1948年、朝鮮半島の南北分裂国家樹立に反対した民衆の一部が蜂起し、島民約3万人が犠牲になったとされる「4・3事件」の慰霊碑が大阪市天王寺区の統国寺に完成し18日、除幕式があった。式には関西一円の在日コリアンら約300人が出席、犠牲者を追悼した。【岡崎英遠】

大阪には事件当時、日本に逃れた人など済州島出身者が多く、遺族らでつくる「在日本済州四・三事件遺族会」などが毎年慰霊祭を実施している。事件から70年の節目に、「大阪でも記憶の継承を」と今年2月から資金を募ったところ予定の350万円を超える寄付が集まった。

在日コリアンにゆかりの深い統国寺の境内に建立された慰霊碑は高さ3・6メートル。遺族が古里を感じられるように当時、島にあった178の村々の石を運び込んで並べた。

事件から逃れ20歳で来日した宋福姫(ソンボッキ)さん(87)は「古里の石もあった。大阪でも犠牲者を追悼する場が出来てうれしい」。慰霊碑建立に取り組んだ遺族会の呉光現(オクァンヒョン)会長(61)は「済州島ルーツの人の多い大阪は4・3事件のもう一つの舞台でもある。追悼と同時に、この歴史を後世に伝える場ともしたい」と話した。

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(葦 夕べに考える)大阪と済州島をつなぐ碑 中野晃(朝日新聞2018/11/21 大阪夕刊 8頁)

「済州四・三犠牲者慰霊碑」

碑銘が刻まれた石柱を韓国済州(チェジュ)島のムラごとに集めた178の石が取り囲む。

済州出身者の墓が多い大阪市天王寺区の統国寺で18日、70年前の哀史を伝えるいしぶみの除幕式があった。

1948年4月3日。祖国の南北分断に抗する左派勢力が島で蜂起し、官憲や右派団体が鎮圧の名で数万人の島民を惨殺した。戦前から済州出身者が多い大阪へ、大勢の島民が荒波をこえて逃れた。

異郷で生きのびた人々は故郷の悲劇に口をつぐんだ。南北対立は同胞社会にも及び、事件は長い間タブー視された。

在日2世の呉光現(オグァンヒョン)さん(61)は高校生のとき、事件を題材にした小説を手にした。「四・三事件って何」と済州出身の父に聞くと、「誰に教えてもらった」と殴られた。父の弟が犠牲者のひとりだと知ったのは20代半ば、先祖の墓参りで初めてルーツの島を訪れた時だ。

惨劇から70年。あの時をほとんど語らぬまま他界した関係者も少なくない。せめて心の底に沈殿した「恨(ハン)」が少しでもほぐれる場になれば。在日遺族会長として碑の建立に奔走した呉さんの願いだ。

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