済州四・三 73周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

日本での「済州4・3」の記憶運動は朝鮮半島の和合の象徴(ハンギョレ)

呉光現・在日4・3遺族会会長へのハンギョレのインタビュー記事(日本語訳)です(ホ・ホジュン記者)。原文のWeb掲載は、2019年5月5日でした。

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日本の大阪で会った呉光現・在日本済州4・3犠牲者遺族会長。写真ホ・ホジュン記者

日本では済州4・3で亡くなった方々すべてを「犠牲者」として慰霊してきました。南と北が同じ空間で生活する在日同胞社会こそ対立から和解に、反目から和合に進まねばなりません。済州出身在日同胞共同体が強固に形成された大阪で済州4・3を記憶し、残されることは日本社会に根を下ろした私たちがしなければならないことです。

4月28日、日本の大阪の統国寺で開かれた「在日本済州4・3犠牲者慰霊祭」で呉光現(63)、在日本済州4・3犠牲者遺族会会長はこう語った。済州の西帰浦の中文洞河源里出身の父は日帝強占時、隣村の月坪出身の母は解放直後大阪に渡ってきた。

両親共に西帰浦出身、大阪出生
高2の時、金石範の「4・3小説」を読み「衝撃」
「チェサの時、涙した父、最期まで家族史で箝口」
1982年、済州訪問「3名犠牲」を確認

1988年、東京での40周年追悼式の時から「参加」
2000年遺族会を結成し、昨年、慰霊碑も建立
「次世代の済州平和紀行の旅等、意味を繋ぐ」

在日同胞の呉会長は済州4・3を知るようになったのは高校時代だ。「高校2年の時偶然、小説家金石範先生の「鴉の死」を読んで初めて4・3を知りました。とても驚きました。まず、両親の故郷でそんな惨劇があったということに驚きました。そしてそのような小説を在日同胞の小説家が書いたことを知り、深く感銘を受けました。それまでは4・3について全く知りませんでした」。

しかし呉会長が4・3について訪ねると父は「誰から4・3の話しを聞いた!」と怒鳴って、口を閉じた。父は4・3について一言も語らないままこの世を去った。呉会長は「父は4・3の当事者だった。7人兄弟姉妹の長男だった[原文の誤りを訂正]父は4・3の時日本にいて、災いを避けることができた。しかし、すぐ下の弟のチェサをしながら人知れず泣いていた」と語った。

父の弟と従兄2名が4・3の時に犠牲になったと言う事実を呉会長は父が亡くなった後、1982年初めて父母の故郷である済州を訪問した時に知ることになった。大阪で生まれ、大学時代は学生運動をしていた呉会長に末のおじさんはこう語った「クァンヒョンよ、韓国では宗教は何を信じようが自由だ。しかし4・3は自由ではない」。その時は済州では4・3を語ることはできない時代だった。冷酷な全斗煥政権の時代だった。呉会長は「おじさんの言葉に衝撃を受け、4・3を心の奥底に閉じ込めることしか当時の僕にはできることはなかった」と語った。

呉会長が本格的に4・3運動に立ち上がったのは1988年日本の東京で済州4・3の40周年追悼式に参加した時からだった。彼はその時、一人大阪から東京の追悼式に参加しに行った。それから10年後、彼は済州出身在日同胞たちと一緒に1998年の50周年の慰霊祭を初めて大阪で開いた。

済州島から金允洙シンバン(シャーマン)を招聘して慰霊祭を持ちました。当日は4・3を実際に経験した在日同胞1世のお年寄りが沢山来ました。母も来ましたよ。大阪では直・間接的に済州4・3の関係者が多くてこの方々の恨(ハン)を解かなければと思ってクッ(済州の民俗宗教祭祀)をするようになりました。多くのお年寄りが慰霊のクッの現場で礼をして涙する姿を見守りました。」

済州4・3当時、日本に渡った済州島民は1万余名と推定される。密航で逮捕された済州島民だけでも12,000名にいたる。その中で加害者と被害者が一緒にいた。総聯と民団に別れていった。日本で4・3に言及するのは済州よりもっと注意深くしなければならない理由だ。

大阪に在日本済州4・3犠牲者遺族会が結成されたのは2000年10月だ。その後、4・3活動は多様化していった。昨年11月には済州出身在日同胞と日本の知識人が思いを集めて大阪市天王寺区の統国寺に在日同胞社会では初めて「済州4・3犠牲者慰霊碑」も建立した。

呉会長は「慰霊碑は日本で4・3の記憶の里程標になり、民団・総聯・日本の和合の象徴になるものです。慰霊碑を通して祖国の一つになるのを祈願し、世界に平和のメッセージを伝えます」と語った。

呉会長は「ここ数年の間、4・3を経験した在日同胞の1世が多く亡くなられました」と言い、日本社会の4・3の記憶の継承に悩んでいました。4月30日から5月3日まで在日同胞3,4世と日本の青年等20余名が済州島を訪問して4・3関連の跡地を訪ね、犠牲者を追慕し、4・3の意味を再確認する「在日済州人子孫4・3平和紀行」もそんな悩みから出て来た。

在日同胞社会では日本での4・3運動を南北和解と統一運動の次元から見る視覚が強い。「4・3当時と日本の関係からとても重要な所です。大阪で4・3の記憶と継承が必要な理由です。済州4・3は南の島から発信される朝鮮半島全体の和解と協働の象徴にならねばなりません。」

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