済州四・三 76周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

慰霊碑建立に至るまで

慰霊碑建立に至るまで 伊地知紀子

大阪における済州4・3犠牲者慰霊碑建立については以前から提案があり、2017年6月1日の済州島4・3事件70周年慰霊祭第1回実行委員会において検討項目にあがりました。その後、70周年にあたる2018年に日本で初めての慰霊碑建立に向けた具体的な議論が始まりました。

2018年6月9日の第16回実行委員会(第1回慰霊碑建立実行委員会)では、済州島のすべての村、178の里から石を集め収集し、碑石として献じようという案が採択され、6月22日第3回慰霊碑建立実行委員会で慰霊碑の基本デザインが承認されます。

済州4・3研究所をはじめとする多くの人びとによる献身的な協力とアドバイスを受け、8月2日から始まった石の収集は、可能な限りで各村の虐殺関連地を選び、収集の際には香を焚き、献杯をし、큰절・クンジョルを献じています。

続きを読む

慰霊碑のデザインについて

慰霊碑のデザインについて 高元秀

慰霊碑には二つの想いが込められています。
ひとつは犠牲者への想いです。
およそ3万人といわれる犠牲者たちに想いを馳せたとき、
浮かんだのは2014年に済州4・3平和財団が公募し、
済州4・3の歌として制定された歌曲
「빛이 되소서−光となりたまえ」でした。
済州道本島に見立てられた台座の中央、
ちょうど漢拏山あたりに立った塔は、
光となり私たちを見守る犠牲者たちを表しており、
正三角形の塔は光の三原色に由来しています。

続きを読む

4・3受刑者再審開始(リンク)

済州4・3事件受刑者18名の再審裁判が、2018年10月29日から済州地方法院ではじまりました。18名は1948~49年の高等軍法会議(軍事裁判)で内乱罪やスパイ罪などを理由に懲役刑を宣告され、全国の刑務所に収監されました。このときの受刑者の多くは、朝鮮戦争開戦直後に集団虐殺されています。そのうちの生存者が2017年4月に再審を請求し、公判記録や判決文などは残っていなかったものの、受刑人名簿と請求者の陳述が一致していることが再審開始の根拠となりました。

関連記事のリンクを紹介します(日付降順)。

  • 70年ぶりの法廷で「供述拒否権」教えられた4・3被害者たち(ハンギョレ日本語版)
  • 検察、「済州4・3受刑人再審開始」抗告放棄(ハンギョレ日本語版)
  • 「4・3受刑者再審開始を巡る憂慮」に対し裁判所が出した答え(ハンギョレ日本語版)
  • 社説:4・3生存受刑者、再審決定の意味は深い(済州新聞)
  • 「70年ぶりの再審」済州4・3受刑者「感激だ」(漢拏日報)
  • 済州4・3「無念の獄中生活」18名、名誉回復はなされるか(済州日報)
  • 裁判記録のない済州4・3、70年ぶりに再審へ(ハンギョレ日本語版)
  • 判決文のない済州4・3受刑者、70年ぶりの再審可否の「触覚」(済州の声)
  • 「暴徒ではない」済州4・3受刑者、70年ぶりに再審請求(オーマイニュース
  • 判決文のない済州4・3軍事裁判…「受刑人名簿」の認否が争点(ハンギョレ日本語版)
70年ぶりの法廷で「供述拒否権」教えられた4・3被害者たち(ハンギョレ日本語版)

続きを読む

対馬・済州慰霊祭に参加して

「70周年追悼済州四・三事件予備検束犠牲者対馬・済州慰霊祭」に参加して 梁優子

済州四・三による犠牲者の遺骸は、済州島にのみ存在しているのではありません。済州四・三当時、長崎県対馬市上県町佐護湾に、数百体の遺体が流れ着きました。海岸の約500メートルにわたって打ち上げられた遺体を地元の住民が手厚く埋葬してくれました。遺体の埋葬に携わった方々のご子息の一人が、ご尊父の遺志を受け継ぎ、海岸近くに供養塔を建て、盆や彼岸に供養をし続けてくれています。2007年に建てられたこの供養塔には次のよう刻まれています。

「古より対馬海峡は波高く往来に困難をきたしていた。近年、朝鮮戦争の戦火で犠牲になった老若男女の遺体が朝鮮半島より海峡の荒波にのってこの海岸に打ち寄せた。その数は数百に及ぶものであったという。その遺骸を亡父江藤光と島の人々が協力して海岸に埋葬した。哀れな異国の魂を鎮めてやりたいという亡父の遺志を受け継ぎここに供養塔を建立する。」

続きを読む