済州四・三 76周年大阪慰霊祭

約3万人が亡くなったと言われる済州4・3事件。済州出身者が多く住む大阪では、毎年犠牲者慰霊祭を開催しています。

71周年4・3追念式(済州)より

さる2019年4月3日、済州4・3平和公園で開催された第71周年4・3犠牲者追念式より、大学生チョン・ヒャンシンさんが祖母キム・ヨンオクさんの苦難の人生を訴えた「遺族事縁朗読」、および童謡「故郷の春」を歌った在日済州人4世俳優・姜河那さんと済州の小学生ペク・チウンさんへのインタビュー記事の翻訳、そしてハンギョレ新聞による参列者遺族への取材記事(リンク)を紹介します。 

遺族事縁朗読 チョン・ヒャンシン

こんにちは、私の名前はチョン・ヒャンシンです。1942年生まれのキム・ヨンオク ハルモニの孫で、済州市に住む大学生です。今日は4・3の遺族であり、後遺障害者でもある私のハルモニの話をします。

ハルモニについて知らなかったことが、余りにも多くありました。ハルモニは字を書くことができませんでした。お年玉袋に私の名前チョン・ヒャンシンの三文字を書いてくださった2年前、その事実を初めて知りました。ハルモニの頭には赤ちゃんの拳ほどの、ぽこんとへこんだ傷があります。それが4・3の後遺障害だったことも、昨年4月になって知りました。甚だしくは10歳まで靴を一度も履いたことのない孤児だったという事実も信じられませんでした。

ハルモニはご覧のように、とても美しい人です。顔も、心もです。今日は黒いチョゴリに白のチマを身に着けていますが、実際に私が覚えているハルモニは、いつも華やかな装いでした。またハルモニは独りでよく浜へ出かけていました。私はその姿を見て、ハルモニは海が本当に好きなんだな、とだけ考えていました。とても信じられないことでした。ハルモニのお祖父さん、お祖母さん、お父さん、お母さん、お兄さんと弟が突然、陸地ではなく海に投げ込まれ、いなくなったという事実は……。当時ハルモニは、わずか8歳でした。

みなさん、ひょっとして「虚墓」をご存知ですか? 4・3以後、ハルモニは子どものころに10年の歳月を大邱から釜山へ、そしてソウルから済州へとさまよいました。漢江で洗濯をし、アイスケーキを売りながら、それこそがむしゃらに生き抜いたそうです。そうして花のような18歳になってから、済州へ戻って来ました。済州に住んでこそ両親を忘れず、また自分が誰の子であり、誰の娘であるのかを覚えておけるように思ったからです。親戚の叔父さんと一緒に亡骸のない、そんな虚墓をつくりました。だから毎年あんなにも真心いっぱいに草刈りに通ったのだろうと思います。

そしてハルモニは、魚を召し上がりません。親、兄弟がみな海に流され、魚にすっかり食べられたと思うからだそうです。子どものころから我慢して、煎り子一つさえ食べなかったという事実も、私は最近になって知りました。ハルモニはそんな方だったのです。

キム・ヨンオク ハルモニ。
「私は今も波の音が聞こえてくると、母や父が「ヨンオクや〜」と呼びながら両腕を広げて私のところへ来るようで。だから、私も両腕を広げて海へ入ろうとしたんです……。」

ハルモニにとっての海を、今になってようやく分かるようになりました。本当にごめんなさい、ハルモニ。ハルモニの人生にそんな惨たらしい時間があって、おしゃれなハルモニがそんな痛みの中で生きてこられたとは思いませんでした。

今日この場に来る前になって、ようやくハルモニに尋ねました。

「ハルモニ、ハルモニが今望んでいることは何ですか?」

最後に、ハルモニに代わって気持ちを伝えようと思います。

「私は母が死んだこと、海に浮いてさまようこと……、それだけを考えて生きてきたんです。私が幼くしてどんな思いで母と父の法事をし、墓の草刈りに通ったことか。母、父、祖母、祖父……、今も血のついた服を身につけておられるのではないかと思い、黄泉路に着る服を新しく仕立て墓の前で燃やして差し上げたんです。母はこんな私の思いをみな分かっておられるでしょうか……。両親が4・3でこのような無念の死を遂げることがなければ、学校で学び、誰にも負けずに生きてこられたでしょう。この4・3事件さえなければ、私は今テレビに出てくる人たちのように上手に話し、どこかの役所にいる人たちのように堂々と……そんなふうに生きられたと思う……。これまでは、悔しい思いだけ抱いていたけれど……それでもこうして私が生きてきた話をうちのヒャンシンがみんな聞いてくれて、もう気持ちがすっかり晴れたようだよ……。」

ハルモニ。ハルモニは泣いている時よりも笑っている時がずっときれいです。だから今は子どもたちに、してやれなかったことが多いと、すまなく思わないでください。ハルモニは、あの厳しい時代を黙々と耐えてきた素敵な人です。

ハルモニ、私と約束してください。これからは毎日笑うと……。

今日4・3追念式に参列してくださったみなさん、ここまで私のハルモニの話を大切に、しっかりと聴いてくださって本当に有り難うございます。

*『済州経済新聞』2019年4月3日付記事中の朗読原稿を参考に翻訳しました。

知らなかったハルモニの4・3の痛み…孫娘の告白に涙の海(済州経済新聞)

4・3 71周年、ある女子大生が平和公園全体を慟哭の海にした事情(済州の声)

チョン・ヒャンシンさん遺族事縁朗読:4・3当時8歳だったキム・ヨンオク ハルモニの孫娘【動画】(済州MBC

済州4・3 もう一度「小さなつぼみから」(済民日報)

いまも故郷済州に住んではいるものの、愛する人たちとともに観た「花咲く故郷」を懐かしむ4・3犠牲者と遺族の胸に、再び小さなつぼみが結ばれた。

映画「鬼郷」の主人公で在日済州人4世の映画俳優・姜河那とペク・チウンちゃんが歌った「故郷の春」が3日、第71周年追念式の開かれた4・3平和公園に響きわたった。いまも故郷済州に住んではいるものの、愛する人たちとともに観た「花咲く故郷」を懐かしむ4・3犠牲者と遺族の胸に、再び小さなつぼみが結ばれた。

二人は生きてきた環境も様子も異なるが、「済州4・3」を思う心一つだけは、互いにぴったりと似ている。

姜さんは「済州はいろいろな痛ましい歴史を持つところだ。同じことが繰り返されないように、私のような在日済州人と、済州4・3を知らない方に、4・3についての話を伝えたい」と述べた。

また「海を越えて日本の大阪に住んでいた時、済州への懐かしさを紛らすために歌った歌が、今日4・3犠牲者と遺族にも、慰めになればと思う」と述べた。

ペクちゃんは「以前より多くの人が4・3を知るようになったと言うが、まだ足りない。このような痛ましい歴史があったという事実を、もっと多くの人に知らせなければならない」と述べた。

続いて「幸せの思い出があったその時、その時代を懐かしむ、4・3犠牲者と遺族を思って歌を歌った。この歌で犠牲者と遺族の疼く心が、少しでも癒されればと思う」と伝えた。

最後に、二人は 「小さな関心と努力が多くのこと変えることができる」として「今日歌った歌が4・3犠牲者と遺族の胸に、春が来る前の、小さなつぼみが開くきっかけになればと思う」と語った。

イ・ウンジ記者

「愛しい兄さん、どうしてまだ帰って来ないのですか?」(ハンギョレ

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